●お千代半・兵衛
享保7年(1722)4月6日、大坂油掛町の八百屋半兵衛と妻お千代が生玉の大仏勧進所で心中した。半兵衛は八百屋仁右衛門の養子。半兵衛の旅行中に、妻お千代が養母によって離縁され、帰ってきた半兵衛は養母の翻意に努力するが果たせない。養母がお千代を離縁したのは、高額の持参金付の嫁を迎えたいためであった。この真相が世間に知れて養母の立場が悪くなるのを恐れた半兵衛は、死を覚悟し、自分がお千代を離縁したと狂言する。そしてお千代を連れて密かに家を出、心中を遂げた。庚申の夜であった。 ※庚申の夜は60日に1回。
この心中事件は、その直後に紀海音「心中二ツ腹帯」、近松門左衛門「心中宵庚申」(浄瑠璃)、また「新板宵庚申」(歌舞伎)に脚色されたが、特に「新板宵庚申」は大当たりをとり、そのため世上に広く知られた心中事件となった。
お千代は24歳で身ごもっていた。当寺の墓石・過去帳にはその子のことが「離身童子」と記されている。
読売新聞 関西探検より
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お千代の実家は屋号を川崎屋といい、道修町に住み、家業は鉄問屋(元禄の頃)で代々当寺の檀家。墓は比翼塚(写真右)と言われている。
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