1. 石山本願寺の時代
秀吉の大坂城は「旧城」を改造して築かれたという。では秀吉以前の城郭とは、いったい誰のどのような城だったのだろうか?
1496年(明応5) 本願寺8世法主蓮如が石山本願寺の別院として大阪御坊を建立。これが石山本願寺の起源となる。
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1532年(天文元年) 山科本願寺本願寺が争乱に巻き込まれて焼き討ちにあったため、十世証如らが、翌年大阪御坊を本願寺とした。この後、寺内町が発展し、戦国時代に突入するにつれ武装強化も進み、11世顕如の頃最盛期に。
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●石山合戦
織田信長の天下統一の野望に最も頑強に抵抗したのは一向宗(浄土真宗)本願寺派の門徒集団であり、その総本山が法主顕如を推戴する石山本願寺であった。
1570年(元亀元年)から11年に及ぶ長い戦争の結果、1580年(天正8)信長は顕如を本願寺から退去させることに成功したが、堂塔伽藍は全焼し、現在もこの時代の遺構は謎に包まれている。
☆大阪の優れた地勢に目をつけた信長は石山本願寺の地を是が非でも手にしようとしたのだ。
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