ミナミ界隈探訪レポート 2006/02/20
宮崎 りえ
活動内容;ミナミ界隈にある、大阪の歴史や文化を象徴する地を訪れる。
日時;2006年2月17日(金) 10時〜12時
場所;(新歌舞伎座前からスタート)
道具屋筋商店街→日本橋→国立文楽劇場→黒門市場→法善寺、法善寺横町
ガイド;江尻恒美さん(大阪観光ボランティアガイド)
参加者;大江真由、長山勇太、宮崎りえ、若穂囲龍介
(2006年春 福島しんじ事務所インターン生)
○
道具屋筋商店街
大阪の象徴とも言えるなんばグランド花月のすぐそばから伸びる商店街です。飲食店を開業したければ、看板から調理道具、サンプルにいたるまで、ここに来ればなんでもそろいます。
ガイドの江尻さんが、名物店だとして連れて行ってくださった「一文字厨器」には、「堺一文字光秀」という商標の高級包丁が所狭しと並べられ、一般家庭では見ることのできないようなプロが使うそば切りや大きな中華包丁が特に印象的でした。
○
日本橋
東京は「にほんばし」ですが、大阪は「にっぽんばし」だそうです。
先ほどの道具屋筋とは打って変わって、日本橋には大小の電気店が建ち並んでいました。
しかし大型店の進出で、小さな個人経営の店はどんどんつぶれ、その跡地などにゲームやフィギュアの専門店、メイド喫茶などができ、最近では東京の秋葉原のように新たな文化が根付きつつあるそうです。
○
国立文楽劇場
文楽の上演を見ることはできませんでしたが、中の展示室に行くことができました。
実際に使用されているという人形は、とてもつくりが精巧で、よくできているなと思いました。これによって些細な表情やしぐさの表現を可能になり、そこが文楽の魅力のひとつなのでしょう。
文楽(人形浄瑠璃)は、2003年にはユネスコの世界文化遺産にも指定された日本の伝統芸能です。江戸後期にその全盛を築き上げた近松門左衛門や竹本義太夫ゆかりの地でもあり、その後開かれた文楽座の多くがおかれたこの大阪という地に、今もこうして文楽の劇場が残り、伝統を守りながら上演され続けているということに、非常に感慨を覚えました。
ちなみに、「文楽」という呼び名は、幕末に大阪で有力な一座を築いた「植村文楽軒」の名に由来するそうです。
○
黒門市場
黒門市場はまさに大阪の台所といえるような市場で、新鮮な魚介類をはじめ、野菜や果
物、それらを用いた加工食品などがたくさん売られていました。
高級魚とされているふぐやくえなどが山積みされていたのが印象的でした。これらの食
材は、料亭などの飲食店のほか、一般市民も買い求めるそうです。
○ 法善寺、法善寺横丁
法善寺は1637年に創建され、現在まで「水かけ不動さん」として親しまれてきました。水商売の人が水をかけて願をかけていくそうで、そのため、お不動さんは全身苔に覆われていました。
また、法善寺は、織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台であり、夫婦善哉のお店や作之助自筆の「ゆきくれてここが思案の善哉かな」の句碑もありました。
法善寺の脇に広がる法善寺横丁は、四年前の中座の火災によって壊滅的被害を受けましたが、今は改修も終わり、多くの飲食店が営業を再開していました。昔ながらの建物は失われてしまったそうですが、新しくなった横丁も、昔ながらの風情を残していて、どこか懐かしい感じがしました。
まとめ;
今回まわった場所は、大阪の商業の中心地や、歴史的、文化的な名所ばかりでした。
ミナミといえば、大阪を代表する繁華街であり、ガヤガヤしている、犯罪が横行している、若者の街などというイメージがありますが、昔ながらの文化や地元の人々の生活が根付いた町でもあるのだということがわかりました。そうしたものを残しつつ、次から次へと入ってくる新しい文化との調和を図ることが、ミナミという街の魅力につながるのではないかと思いました。例えば、風俗店などがあちこちにむやみに存在しているという現状は、景観や治安の観点からして、そうしたものをきちんと維持するためには非常に問題だと思います。